個人再生始めました
以前の記事からどれくらいったったか・・・・
突然ですが債務整理をすることをちょうど去年の今頃決め、来月、個人再生が決まりそうです。
超重度のギャンブル依存により、もう死ぬしかない一歩手前まで追い詰められましたが、なんとか生きていけています。
本当に本当に良かったと思っています。
確かに、債務整理をすることにより、信用情報にはブラックとして載ってしまうため、住宅ローンを組めない、クレカを作れない等ありますが、
それぐらいしないと、やっぱり人は変われない。
というかそれくらいしても変われはしない・・・
そう思いました。
一番良かったことは、借金がこれ以上は増えないこと。
これは間違いないです。
ギャンブル依存についても、使えるお金がないことで、ギャンブルへの抑制にはなります。(このあたりについてはまた別の記事で触れます)
債務整理をするにあたり、クレカが全部止まることについて、最初は躊躇しました。
が、止まってみれば、なんも問題ない。むしろ、クレカがないことで、真っ当に生活できている気がします。
個人再生の申し込みをしてから、認可が下りるまで、1年程度かかりました。
ギャンブル依存や借金で悩んでいる方は1日でも早く、債務整理はした方がいいと思います。
反省文
最近の自分は特にほんとに最低だと思う。
甘えてばかりで何もしていない。
昨日も、早く帰るといったのに、約束守れずにごめん。
早く帰って3人でわいわいしたいという気持ちはあるんだけどね。
家族を大事にできていないよね。
朝もいつも何から何までやらしてごめん。
私いなくても回るなら離婚した方がいいかな?
なんて最近思っています。ごめん。
初めての流血を経験した我が子と自転車通勤を始めた私
気づけば前回の更新から5ヶ月が経過。。。汗
奥さんとブログを更新するという約束をしたのに全然守れてないです。。。汗
子供の成長ってホント冗談みたいに早くて、こないだまで寝返りしかしなかった我が子も、気づけばずり這いをし、ハイハイも、たまにはして、基本的につかまり立ちをするようになりました。そして何いってんだかわからないがよく喋る。
そして、良いこと、悪いことというのがわかるのか、ダメと怒られると泣く。笑
ここまで、10ヶ月。
長いようであっというまでした。
コロナ禍の中我が家では
卒乳を、ヌルッと試みてるわけなんですが、そのせいか妻への依存がすごいです。何をするにもママをキョロキョロ探しています。
我が子大好きな父としては悔しいやら寂しいやらなんともいえませんが、まぁ一日中一緒にいる母親に勝つなんてどだい無理なわけで。
とりあえず、頑張って我が子に気に入られるよう、遊べる時は頑張ります。
コロナの為延期していた妻の仕事復帰も来月から本格的に見えてきて保育園生活ももうすぐです。
そうそう、無事に第一希望の保育園に決まってました!
一安心です。
そんな今日この頃。
自転車通勤を始めた私に妻は少し早めの父の日のプレゼントとしてスマートウォッチなるものをくれました。
我が子は少し早めの父の日のプレゼントとして、軽く流血騒ぎを起こし、母の偉大さと父としての自覚を考えさせるきっかけをくれました。
そんなこんなで今日も世界は回っております。
寝返りをなかなかしない我が子と、寒くて動くのが億劫な私。
夏に生まれた我が子ももうすぐ生後5か月になります。
下の歯がにょきにょきと生えてきましたが、まだ寝がえりはしたくないみたいな我が子。
〇生後5か月でできるようになったこと〇
・しゃべる
・よく笑う
・なく
・うつ伏せ
・ママ見てわらう
・パパ見て抱っこしてくれと腰をうかすようなそぶりをする
・おもちゃをおもちゃと認識して握る。
・白湯、麦茶を飲む
・下の歯が生えてきた。歯がむず痒いのか、ぶーっと唾を飛ばす。歯茎にものを当てたがる。
きっと私が気づいていないだけでまだまだできるようになったこといっぱいあるんだろうなぁ。
子供の成長って素敵。
自己主張をどんどんしていってほしい。
自己主張できない私と自己主張をできるようになってきた我が子。
私の分も自己主張してくれい。
保育所選び所謂保活
祝2夜連続更新。
毎晩更新できるといいのですがなかなか難しいですね。
今日はずーっと行きたかった奥さんの曽おばあちゃんのお家へ行ってまいりました。
奥さんのおばあちゃまは大正生まれ。魔女みたいに手の長く鼻が高い、素敵なおばあちゃまでした。(私が会うのは3回目)
大正生まれのおばあちゃま(魔女みたい)
昭和生まれの義母(久しぶりに孫に会えてハイテンション)と私(痩せたい)
平成生まれの奥さん(最近抜け毛に悩んでる)
令和生まれの我が子(4か月で8キロのビックベビー)
この4世代が集まるというすごい光景となりました。
私は介護系の仕事をしているため、どちらかというと普段人の死に近いことのほうが多いのですが、なかなか、こう、死が近い人間と(←失礼)、生に満ち溢れた人間が一緒にいる光景というのは良いものですね。
元気なうちにまたちょこちょこ行きたいと思います。
そんなこんなで先ほどまで妻と二人で、保育所の申し込み用紙を書いていました。
大変ですね。保育所の申し込みをするのにも、一苦労。
こんなんじゃ共働きしづらいなと率直に思いました。
保育施設とは
→保護者が就労、病気等の事情により児童を家庭で保育できない場合において、「子供・子育て支援法」および「児童福祉法」に基づき保護者に代わって保育を行う児童福祉施設
とのこと。
私たち夫婦は就労のため、保育施設を希望してます。
どうなんでしょう。
このネット社会、情報にあふれた社会では、夫婦共働きが一般的かなと勝手に思ってはいるのですが。
金銭的なこともですが、どちらかというと妻にとって社会との関わりを、「働く」という形で持ったほうがいいかなと考え、保育所に入れることを考えました。
ただまぁ思っていた以上に大変。
まず、保育所を選ばなければいけないというのが大変ですね。第1希望から第5希望まで書くのですが、そんなに選べない。小学校や中学校みたいに住んでいる地域の学校区で決めてくれればいいのに・・・なんて思いました。
さらに、なんというか提出書類が、ふるい落とすための情報集めというように感じました。保育所になるべく入らなくていい理由を探すような書類ばかりですね、我々夫婦のことはもちろん、同市内に祖父母が住んでいる場合はそちらの書類も必要になるなんて・・・ちょっとびっくり。
ただ保育料無償化は大変ありがたいですね。といっても3-5歳ですが、それでもありがたい。国が子供にどんどんお金をかけてくれるそんな風になってほしいと思います。
この子が大きくなるころには、どうなってるのか。楽しみです。
以上、本日の忘備録。
朝に生まれると思ったが気づけばおやつの時間だった
真夜中2時。
車を走らせ、病院へ向かう。次こそ入院できるかな・・・また帰させられるのかな・・・なんて不安な思いを持ちながらとりあえず病院に向かう。
夜勤の看護師さんに迎え入れられ、3度目の病院訪問にて無事入院することができた。
やっとの思いで入院。まずは一安心でした。
自分の仕事に関しても幸い翌日は土曜日ということで、特に気にせずに入院することができた。
(というか、妻の様子が気になってしょうがなかったので2日ほど休んでいたw)
もうすぐ自分も父親になるのかなとかのんきに考えていたのはこの時まで。
ここからが本当に長かった。。。。
入院してからは赤ちゃんがさらに徐々に下りてきて子宮口が開くのを待つわけだが、これがなかなか開ききらない。
入院した当初には朝方には生まれるかな?なんて看護師さんも言っていたが、まてどもまてども朝になっても一向に出てくる気配はなかった。
ただ、だんだんと陣痛はひどくなってきていたので、ご多分に漏れず、妻の背中をさすり続けた。看護師さんにテニスボールをもらい、それはもう一晩中おそらく人の背中をこれ以上さすることはないのではなかというくらいさすり続けました。(途中30分くらい寝落ちしてたけど。苦笑)
ただまだ、朝方までは「こんなくらいならまだ多少余裕がある」と、
3日4日寝れず、髪の毛がぼさぼさになってしまって、服もはだけていたためまるで 実写版信長のような 妻がそこにはいました。
そして、朝方になっても開ききらないので、やはり陣痛促進剤を入れるということが決まりました。
「陣痛促進剤」、男である私はおそらく一生経験することはないであろうものですが、これがすごかった。
点滴の経験がないという妻が不安がっていたため、「点滴なんて大したことないよー」と励ましました。これはよくなかった。
入れてすぐから、妻の様子が一気に変わる。もうそこに 信長様はいない。
心拍数が上がり、自分の体がおかしくなっていき、徐々に言葉にも余裕がなくなっていきました。
陣痛促進剤を入れたのが12時くらいだったかな。
15時くらいに分娩室に入ったのですが、生まれる直前はもう、「看護師さーん」とずっと叫んでいました。
分娩室に入ってからはほんと早く、約30分程で生まれました。
あ、もちろん分娩室に入って出産には立ち合いました。
入ってからはほんと早くて、看護師さんが準備をして、先生が妻のお腹を押しながら出す!っていう作業でした。
妻がいきむのが上手だったみたいで結構すぐ生まれましたね。
生まれた直後の感想として・・・・
もうね、正直感動より開放感がすごかった。笑
やっと終わるという開放感。
目の前で自分の奥さんが苦しんでいるのを見なくていいという開放感。
待ち望んだ我が子に会えるという開放感。
当事者でない私が開放感なのだから、妻はもっと開放感がすごかったでしょう。
胎盤をもっとゆっくり見たかったなんて余裕のコメントをくれるたくましい妻ですが、やはり、出産で激しく体力を使ったようで、1,2日は顔が白くふらふらでこの医療が発達した現代でもやはり出産は命がけなんだなと改めて思いました。
ちょっとだいぶ前のことだし、だいぶ記憶も薄れてきていますが、病室で余裕かまして梅ジャム食っている信長ライクな妻の顔だけはなかなか忘れられません。笑
さてさて、明日より12月。令和最初の12月はどんな12月になるのか楽しみですね。
それでは。
出産立ち合い経験はしておいてよかったと今改めて思う
前回の記事からなんと1年も空いてしまいました。。。
どーもこんにちは鬼のお兄さんです。
だいぶ・・というか、丸1年も期間が空いてしまい申し訳ございません。妻に内緒で初めていましたが、ひょんなことからバレていたみたいです。苦笑
流石に1年前の事は中々覚えてはいないので、また思い出し次第順次書いて行きたいと思います。
ということで、赤ちゃん待ちブログから 子育てブログに進化します!!
さて、今日は無事に生まれた我が子が生まれた時のことをを紹介しましょうか。
遡る事4ヶ月前、まだ、真夏になるちょっと前のそんな熱くない日の三連休の初日に生まれました。出産予定日のちょっと前でした。
7月13日 午後3:45分 体重3145グラム。 なんだが、3と4と5が多い(笑)
生まれるまでは、なかなか大変でしたね。
まず、陣痛がわからない問題。
これが結構悩みました。
我が家はこれが初産。
生まれるまでの流れなんて、ネット情報や聞いた話でしかわからない。
やはり体験しないとわからないものですね。
痛い痛い・・・感覚も少し短くなってきた・・・・破水っぽいのはないけど・・・
妻がそう言うので、もうそろそろかな・・・ああこれが陣痛なのかな・・・なんて思い、病院にいってみる。
車を走らせながら、もうすぐ生まれるのかな、自分が父親か。。生まれた我が子見たら泣いちゃうのかな・・・名前決めたけど、顔見たらなんか違うの思いつくかな・・・
なんてワクワクしながら病院到着。妻しんどそう・・・
看護師さん「まだですねー(⌒∇⌒)」
・・・で帰される日々を数日過ごしました(これはのちに前駆陣痛だということを知りました)
前駆陣痛って一般的には感覚がバラバラや弱い痛みが続く等言いますが、それも人によりけりですね。うちの奥さんは夜によく痛くなっていました。出産までの3日間はほとんど一睡もしていないのではなかったように覚えています。
前駆陣痛が3日間くらい続いて心身ともにだいぶ参っていた、夜中の2時か3時くらいだったかと思います。
どのタイミングで病院に行けばいいかなんてわからないので、病院の看護師さんに電話で相談しまくりました。最初は15分くらい感覚になったらと言われていましたが、15分くらいの感覚になったところで電話すると、今度は10分くらいといわれ・・・最終的に7分間隔くらいになるまで、家で待機でした。
そして、病院に到着。
もうこのころになるとワクワクとかドキドキとかよりも、まだかまだか、早く解放してあげてほしいし解放されたいとい気持ちのほうが強かったですね・・・
ただまぁこのころまではまだいくらか夫婦ともに余裕があったんだよなぁ。
出産する朝を迎えるまでは・・・・